以下の文章は2000年1月9日のイベントに行く事になったが、
この手のイベントは参加することに意義があると勘違いしている私が
前日、某サークルに委託してもらうペーパーを作るべく丁稚あげた文章です。
が、書いた後で「右半分に収まるべくメカのイラストが無い」事に気づき、
闇に葬られようとしたが、HPにゲーム感想のページを作るって計画があるので、
其処にアップしちゃえ的なものです。
右半分も募集中ですが、この文章、まだ途中なんです。
理屈系ゲーマーとダライアスの奇妙な愛情と蜜月な日々。
私は「理屈系」ゲーマーだ。
1周回れない達人を東亜系シューティング最高峰と奉ってみたり、
数年振りのディグダグに懐古などではなく、システムにおける
一部の隙もない世界の構築に涙したり、
MJ−12にインベーダーゲームの完成形を見たり、
わりかし多忙な理屈プレイをエンジョイしてたりする。が
そんな私も「ダライアス」と言う名の
重いめの十字架を背負っていた。
付き合いはかなり長い。
出た時からプレイしているので、
スコアや超絶技や知識等やら除いた部分、
すなわち、ラブ期間ではは世界レベルだ。
その間、3画面筐体にはニンウォ期やらダラ2期やら
粗大ゴミ期、一部の地域ではガロウ伝説期なんてのもあったので、
いつも一緒ではなかったが、一番は常にダライアスだ。
だが、そんなダライアスに対する愛を「好きだから」などと言う
陳腐な言葉でしか語る事しか出来ない私がいた。
その他大勢のゲームには理屈と納得&説得の
3分間スピーチがさらりと綴る事が出来ると言うのに、
こと最愛のダライアスになると、数時間にも及ぶ
「良い」やら「最高」やらの感嘆符弁当しか作ってあげる事しか出来ない。
そのうえダライアスはその高貴なプロポーションより、
おいそれと同棲(筐体購入)のお許しもでない。
ちょいと余談だが、ある種、基盤購入と言う行為はそのゲームに対する愛を
(歪んだ形ではあるが)判り易い形で表現してくれる。
たとえば、私はレイフォースの基盤を8万円で買いましたよ
と言う事実は、自分にも他人にも好きである理由を
日本語化せずとも判ってもらえるのでかなり楽ではある。
だが、ダライアスはその自己満足すらも拒絶する。
もういっその事「曲が良い」やら「独特の世界観」やら
「巨大なボスキャラ」、「時代を感じさせないグラフィック」、
なんて言ってしまえればどれだけ楽になるだろう。
アアコンナニキミノコトガスキナノニ・・・
それに加えここ最近、彼女に出会う機会もめっきり無くなったのだが、
そっくりさん?がお家にやってきた。エミュレータである。
ちょっと、いやかなり小ぶりになった彼女は、
我が家の15インチディスプレイにすっぽりおさまり、
当時は若さゆえ気づかなかった面を垣間見せるのだった。
ダライアスには2種類のリズムが存在する。
まずは、地上物のリズムであるが、
これは遠方より前方ショットで撃てない物を前提として話を進める。
地上物にはボムを当てに行く場合にしろ、ショットでなぎ払うにしろ、
自機の位置は前に行く事はあまり無く、むしろ後ろにさがる事が多い。
というよりも、後ろにこれ以上下がれない場合、かなり危険である。
と言う事は、画面前方で地上物を攻撃レンジに入れ素早く裁く。
が正解である。無論これも多少絡むのだが、ダライアスにおける
地上物の役割は、自機と敵との位置関係が近い。
(最大でも画面の上下の幅+αしかない)である。
これは所謂、横シューと同じ事であるので判り易いのだが、
ダライアスの特徴の”一つ”である「横に長い」が大きく影響するのが
空中物である。しかも登場時間はパターンだが出現位置が「ランダム」である。
あーもう話が長くなるなあ、もう端折るからね。
ダライアスというゲーム、前に出れば有利なんだけど、
後ろにさがろうとさせる要素が「非常」に多い。
でもって、さがっちゃうといろいろと困難が待ちうけるわけだ。
いかにして前に出るか?だが、能動的かつ戦略的にさがる
という局面も少なからず存在する。その対応や按配。
そして地上物のリズムに空中物のソロが絶妙のハーモニー。
ここまで言ったんだったら、パワーアップと心拍数の関係を
ゲロっても個人的に許してもらえるだろう。
いやそれだけではない(以下略)
え?何言ってんのかワカンナイだって?
俺はわかったんだよ、ずっと愛してるよ、ダライアス。
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